加賀友禅TOP 趣味のきもの竹うち

本場・石川県よりお届けする 加賀友禅・牛首紬

加賀友禅は当店の原点です


創業以来、当店の留袖、訪問着、染帯の大半は加賀友禅をご購入いただいています。

初代女将が金沢生まれで、この業界に入るきっかけを作って下さったのが加賀友禅の製造問屋さんだったということもあり、自然に加賀友禅に力を入れることになりました。

当時は人間国宝の木村雨山氏をはじめ、談議所栄二氏、毎田仁郎氏、水野博氏、矢田 博氏、藤村加泉氏、能川光陽氏、成竹登茂男氏、梶山伸氏、初代 由水十久氏などが華々しく活躍をなさっている時代で、その頃すでに全国的に加賀友禅の評価は高く、「加賀友禅は石川県の誇り。」という気持ちを強くしたと言います。

また、加賀友禅には、京友禅のような華やかさを感じさせる色柄や、東京友禅のようなさっぱりとした色使いの粋を生かした色柄を得意とする作家さんも多く存在し、大抵の地域で受け入れていただける懐の深い友禅であることも確信しました。

現在、呉服の需要が低迷し、価格優先の簡易版と称する作品も多くなりました。
スッキリした柄付けをうたい文句に、単なる手抜きな作品も多くありますが、本来色柄の引き算は、より高度なデザイン力を必要とするものであり、単なる手抜きとは全く違います。

しかし、それらはほんの一部であり、当然しっかりした作品の方が多く、この不況下でも一生懸命精進し加賀友禅の新しい方向性を目指す有望な新人作家も出ています。

当店は加賀友禅の本当の良さを一人でも多くの方にご紹介していきたいと思っています。


訪問着加賀友禅の価格は、作家さんのランク、柄により大きく違いますが、同じ作家さんの同じ柄の作品でも、産元卸商社ごとに糊置きや引き染め、染織補正の職人さんも違い、使用生地なども違い、価格差がでます。

当店では加賀友禅の仕入れにあたっては次のことを重視しています。
①品が良く、 時代を考慮した色彩 の作品。
②生地が良く、糊置き・彩色・引き染め・整理が丁寧な仕事で仕上がりの良い作品。
③産元商社より直接買い取り仕入れをし、お求めやすい値付けを心がけています。


*当店の加賀友禅は、全作品産元卸商社の正規流通品です。


加賀友禅の特徴と歴史


加賀友禅とは


西 肇子三大友禅(京友禅、加賀友禅、東京友禅(江戸友禅))の一つで、石川県加賀(金沢)地方で染められる糊置き防染法による文様染です。

加賀友禅は絵画的、京友禅は図案的」といわれますが、「絵画的」とは、描きたいものが自由に描ける「友禅技法」の特徴そのものです。
色柄は、華やかな中にも落ち着いた品格があり、式典の主催者や参列者に礼の心を表すにふさわしい友禅といえましょう。
また分業制の京友禅に比べ、図案の作成から下絵、彩色まで一人で手掛ける加賀友禅は、作家の個性が出やすいのも特徴です。


現在加賀友禅と呼ばれるものには、手描友禅と板場友禅(型染・加賀小紋)がありますが、おもに手描友禅のことをいいます。
(当店では作家物の手描染だけを「加賀友禅」と呼んでいます。)

作家制度が定着している加賀友禅にあっては、(協)加賀染振興協会に属し加賀友禅手描技術者登録名簿に落款登録した作家がつくるものを加賀友禅と呼ぶのが一般的です。

densan_mark01.gif●加賀友禅は昭和50年5月10日 国の「伝統的工芸品」に指定されています。
「伝統的工芸品」指定要綱
(1) 色彩及び図柄は、「加賀五彩」を基調とした絵画調とすること。
(2) 下絵は、「藍花」を用いて描くこと。
(3) 糊置きには、「糸目糊」を用いること。
(4) 黒色に地染をする場合には、伏せのりをしないこと。
(5) 刺繍をする場合には、「加賀刺繍」によること。

現在、加賀友禅には
1.加賀染振興協会に登録されたその作家の「落款」
2.伝産協会が発行する伝統証紙(経済産業大臣指定)
3.加賀染振興協会証紙が付いています。

rakkan-touroku-08.jpgproof.gif

加賀友禅の特徴


写実的な草花模様を中心とした柄が多く、写実性を高めるために、白上がりの線の太さに変化があり、虫喰い、ぼかしの技法がよく使われています。

色彩は加賀五彩といわれる藍、臙脂(えんじ)、黄土、草、古代紫を基調とした多彩な色調の作品が多く、色のぼかしは、模様の側から内側へだんだん薄くぼかしていく(京友禅はその逆)が多く使われています。
刺繍、箔置きなどはあまり行わないのも特徴です。

加賀友禅が絵画調といわれるのは、手描友禅自体が描きたいものが自由に描ける技法であることと、武家文化の影響によるといわれています。.(京友禅は洗練された構成・デザインに重きが置かれ、加賀友禅では写実的な描写と緻密な彩色が特徴だからともいわれます。)


加賀友禅の歴史

加賀友禅以前

加賀友禅の歴史は、室町時代にはすでにあった加賀独特の染め技法「梅染」までさかのぼることができます。
梅染は加賀で産出された加賀絹を幹皮などの煎汁と媒染剤による媒染法で染めた無地染めで、回数を重ねることにより、最初の黄色がかった赤色から赤くなり(赤梅染)、さらに繰り返すことにより黒色(黒梅染)に染まります。
江戸時代には吉岡憲法が京都で始めた兼房染(黒染)が加賀に伝えられました。
梅染や兼房染は無地染でしたが、正保年間に始められた「色絵紋」は、定紋の周りを花などの模様で囲むもので、繊細な絵を描くために、防染技術が取り入れられた最初の染色文化です。「加賀紋」とも呼ばれ、これが加賀友禅の原点といわれています。
梅染・兼房染・色絵紋を総称してお国染めといいます。


加賀友禅の成立

これらの染め技法がほぼ確立した後、宮崎友禅斎の登場により、加賀友禅は大きな発展期を迎えます。
友禅斎は江戸中期に京都から金沢の御用紺屋棟取・太郎田屋に身を寄せ、お国染の意匠の改善や友禅糊の完成など輝かしい加賀友禅の基礎をうちたてました。
この後、加賀藩の熱心な文化奨励策のもとで、加賀友禅は飛躍的な進歩を遂げます。


木村雨山 氏

木村雨山しかし、加賀友禅が現在のように京友禅と肩を並べるほど有名になったのは、昭和30年(1955)に木村雨山氏が重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されたことによります。

天才 木村雨山が登場するまでは、加賀友禅は京友禅より格下という見方が一般的で、地元金沢でも富裕な家庭では嫁入り支度の着物などは京都で染めさせていたといわれています。
木村雨山氏の作品は現在、石川県立美術館に20点以上所蔵されています。

その後も伝産法に基づく後継者育成事業、品質表示事業などを推進してきた「協同組合 加賀染振興協会」の努力や、毎田仁郎、水野博、矢田博、由水十久をはじめ多くの著名な作家を多数輩出したことにより加賀友禅は金沢の一大産業となり、全国的にその名を知られるようになりました。

しかし、着物ブームの頃には粗製濫造ともいえる作品が大量に作られたり、加賀友禅の著名な作家の図柄を盗用して加賀調と称して製造し、この加賀調を加賀友禅として販売する業者が跡を絶たず、本物の加賀友禅をわざわざ「本加賀」「本加賀友禅」と呼ぶなど変な事態になりました。
呉服不況の現在では「価格訴求」と称して低価格の手抜き商品が全国規模で出回る等の一面もあります。